はじめに
2025年12月26日、金融庁の金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループより、金商法上の開示規制の改正等の提言を行う報告書(以下「本報告書」)が公表されました。
本報告書では、有価証券届出書の提出免除基準の見直し、特定投資家私募制度の見直し、株式報酬に係る開示規制の見直し、虚偽記載等に関する責任の範囲の明確化といった様々な観点からの提言が行われていますが、本ニュースレターでは、そのうち、全上場会社その他の有価証券報告書の提出会社に影響のあり得る、虚偽記載等に関する責任の範囲の明確化(セーフハーバー・ルールの創設)についてご紹介します。
虚偽記載等に関する現行ルール
企業が外部に開示する情報については、その内容に関して損害賠償責任等の法的責任を負う可能性があることを意識する必要があり、非財務情報も法的責任を負うリスクに晒されています。この法的責任が伴うことによって開示情報の質が担保され正確性の確保につながっています。金商法上、有価証券報告書等について民事責任、行政責任、刑事責任の3つが規定されています。
1. 民事責任
有価証券報告書については、重要な事項について虚偽の記載があり、または記載すべき重要な事項もしくは誤解を生じさせないために必要な重要な事実の記載が欠けていた場合(以下「虚偽記載等」)には、提出会社は、有価証券報告書の公衆縦覧期間(5年間)に募集・売出しによらずに有価証券を取得・処分した投資家に対し損害賠償責任を負います。提出会社の責任は過失責任ですが、故意または過失があったことの立証責任を投資家側が負うのではなく、提出会社において、故意または過失がなかったことを立証した場合に限って責任を免れます(立証責任の転換)。また、損害賠償の額については、市場価額をベースとする推定規定が設けられています。
2. 行政責任
有価証券報告書について、重要な事項につき虚偽の記載があり、または記載すべき重要な事項の記載が欠けている場合、提出会社に対して、時価総額の0.00006%の金額(時価総額が1,000億円未満の場合には600万円)を課徴金として国庫納付が命じられる可能性があります。この金額自体は少額に思われるかもしれませんが、課徴金賦課の手続に対応しなければならない負担や、当該事案が公表されることによるレピュテーションの毀損、課徴金賦課の結果を踏まえて投資家からの民事訴訟が誘発されるリスク等を考慮すると、軽視することはできません。課徴金の納付命令については、故意や過失の存在は要件とされていません。
また、課徴金制度とは別に、有価証券報告書について虚偽記載等があることを発見したときは、内閣総理大臣は訂正報告書等の提出を命じることができるとされています。
3. 刑事責任
金商法上、重要な事項について虚偽記載がある有価証券報告書を提出した者は、刑事罰の対象となり、個人について10年以下の拘禁刑もしくは1,000万円以下の罰金またはこれらの併科となっており、法人については7億円以下の罰金の両罰規定が設けられています。
近時の非財務情報開示の拡充の要請
有価証券報告書は、財務諸表とそれ以外の情報(以下「非財務情報」)で構成されますが、非財務情報の開示については、近時、ルール改正による開示事項の増加や、投資家からの要求水準の高まりから、具体的で充実した開示が求められています。例えば2025年11月にはSSBJサステナビリティ開示基準の有価証券報告書等の開示への取り込みや人的資本開示の拡充等を目的とする改正案が公表されています。なお、この改正案については、キャピタルマーケットニュースレター第55号「SSBJサステナビリティ開示基準の金商法開示への取込み・人的資本開示の拡充等の内容が明らかに ~企業開示府令等の改正案の公表~」(水越恭平・宮下優一・高橋優、2025年12月)もご参照ください。
このような流れの中で、特に非財務情報に関する企業の積極的な情報開示を促す観点から、事後的に金商法上の虚偽記載等に対する責任を過度におそれ、開示内容が定型的なものとなってしまう可能性があるという問題意識を踏まえ、本報告書では、不確実性が高い情報について一定の場合に虚偽記載等の責任を負わないとするセーフハーバー・ルールを導入することが提言されました。
なお、非財務情報のうち一定の将来情報については、一般的に合理的と考えられる範囲で具体的な説明が記載されている場合には虚偽記載等の責任を負わないと考えられる旨が企業内容等開示ガイドライン(B5-16-2)に既に規定されています。また、気候変動に関するScope 3温室効果ガス排出量の虚偽記載等の責任については、本報告書に先駆けて、上記の2025年11月の企業内容等開示ガイドラインの改正案に既に含まれています。もっとも、企業内容等開示ガイドラインは、行政庁による法令の適用にあたっての指針を示すものにすぎず、法令そのものではなく、裁判所を拘束するものではありません。本報告書では、後述するとおり民事責任については法律改正を想定しており、また、Scope 3温室効果ガス排出量やサステナビリティ情報にも限定していない、非財務情報を対象とするものです。
セーフハーバー・ルールの内容
1. 概要
本報告書で提言されているセーフハーバー・ルールをまとめると以下のとおりです。この具体的な内容については今後の法令等の改正案を確認する必要があります。
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民事責任
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行政責任
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刑事責任
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適用範囲
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非財務情報のうち
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将来情報
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見積り情報
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統制の及ばない第三者から取得した情報
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故意犯処罰を原則とするため適用なし
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開示書類
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有価証券報告書・有価証券届出書
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対象者
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提出会社・その役員等
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適用要件
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有価証券報告書等に、①~③の前提となる事実、仮定および推論過程、情報の入手経路等に関する社内での検討・評価手続等を開示
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確認書に、経営者が非財務情報を含む開示手続を整備している旨とその実効性を確認した旨を開示
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改正対象
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法律改正を想定
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企業内容等開示ガイドライン改正を想定
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2. 適用のある責任の種類
議論の出発点として、諸外国に比して日本の制度は被告(提出会社側)の民事責任が問われやすい制度であること(ただし、実際に諸外国に比して日本で民事責任が問われているというわけではありません。)、諸外国では、法律上、一定の非財務情報の虚偽記載等について、民事責任に係るセーフハーバーが置かれていることが一般的であることから、本報告書においても、民事責任を主軸にセーフハーバー・ルールの導入が検討されています。諸外国の例として、本報告書においては、詐欺的なものについて責任を負うこととされ、会社側の欺罔の意図の存在や重要な虚偽記載等と損害との因果関係についての立証責任は、投資者側にあるとされている米国の例、役員に重過失がある場合に責任を負うこととされ、重過失があることや重要な虚偽記載等のある情報に依拠して証券を取得したこと等についての立証責任は、投資者側にあるとされている英国の例が紹介されています。
行政責任については、エンフォースメント手段確保の観点からセーフハーバー・ルールの対象外とすべきとの反対意見はあったものの、課徴金納付命令を契機として民事訴訟が提起される傾向にある実情を踏まえ、民事責任の場合と考え方を統一しておくことが適当であるとされています。また、課徴金制度は、要件に該当する場合には課徴金納付を命じなければならないとする義務が当局に課せられているものであり、責任を負うべき虚偽記載等の考え方を企業内容等開示ガイドライン上明確にしておくことによって当局による適正な法執行を確保できるため、法律改正までは不要とされています。
これらに対して、刑事責任については、謙抑的な運用や故意犯処罰の原則から、セーフハーバー・ルールの対象外とすることが適当とされています。
3. 適用範囲となる情報
本報告書は、セーフハーバー・ルールの対象範囲を「不確実性が高く、厳格な正確性を求めることが投資者のニーズや企業負担の観点から必ずしも相当とは言えない情報」として、非財務情報のうち、①将来情報、②見積り情報、③統制の及ばない第三者から取得した情報(以下総称して「将来情報等」)としています。
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将来情報とは、有価証券報告書の作成時点からみて将来に関する情報であって、作成時点において金額、数量、事象の発生の有無等が確定していないものをいい、本報告書概要では、業績見通しやビジョンが例として挙げられています。
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見積り情報とは、不確実性のある数値について、入手可能な情報を基に合理的に算出した数値をいい、本報告書概要では、データを用いた推計・分析が例として挙げられています。
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統制の及ばない第三者から取得した情報とは、子会社や関連会社を除く第三者から取得した情報に基づき開示される情報をいい、本報告書概要では、温室効果ガス排出量のうち、Scope 3や行政機関の公表情報が例として挙げられています。
以上について、具体的な範囲については、今後、内閣府令や企業内容等開示ガイドラインにより明確化されることが期待されています。
4. 適用要件
本報告書は、将来情報等の「合理性が確保されていると認められる場合」にセーフハーバー・ルールが適用されると整理しています。具体的には、①将来情報等の前提となる事実、仮定および推論過程、情報の入手経路を含む将来情報等の適切性を検討し、評価するための社内手続を有価証券報告書等の追加記載事項とし、②経営者が非財務情報を含む開示手続を整備している旨やその実効性を確認している旨を確認書の追加記載事項とした上で、①・②の記載事項が真実であることを前提に、セーフハーバー・ルールが適用され、虚偽記載等の責任を負わないこととするのが適当とされています。
今後の実務上のポイント
今回のセーフハーバー・ルールは、提出会社側として大きなリスクとなり得る虚偽記載等の責任のリスクをコントロールする上で非常に重要なものであるため、本報告書で提言された内容を理解するとともに、今後示される具体的な改正案の内容・改正時期を注視することが肝要です。例えば、本報告書概要では、適用対象となる非財務情報について「財務諸表に密接に関連する情報は除く」とされており、具体的にこれが何を指すのかは現時点では明らかではありません。この点、ディスクロージャーワーキング・グループ第2回会合では、見積り情報のうち、引当金の金額等、財務諸表に記載される情報が非財務情報の項目に記載されていた場合が対象外となる例として示されていました(事務局説明資料9頁)。
その上で、虚偽記載等の責任のリスクをコントロールするためには、情報の内容の精査、裏付けや前提の確認、合理性の検証、適切な表現の使用、保守的な検討、ディスクレーマーの作り込み、開示後の適時の見直し、これらを可能とする体制やプロセスの確立等、さまざまな対応が必要となると見込まれます。
また、現在の有価証券報告書等では、例えば中期経営計画上の業績目標値やKPI等を開示しているケースも多くありますが、今回のセーフハーバー・ルールの適用要件として示されている「前提となる事実、仮定および推論過程、情報の入手経路を含む将来情報等の適切性を検討し、評価するための社内手続」についても合わせて開示をしているケースはそれほど多くないように思われます。改正前であっても、今回の提言を契機に、リスク低減の観点から既存の開示のブラッシュアップ・高度化を検討することも有益と思われます。また、セーフハーバー・ルールは要件を満たさなければ違法になるというものではありません(免責効果を得られないにとどまります)ので、改正後であっても、適用要件で示された対応をしていない将来情報等が開示される場合も想定されます。もっとも、責任追及のリスクという観点からは、上記の対応をしていないということ自体がマイナスになるおそれもありますので慎重な検討が必要です。