Middle East Legal Update
~中東最新法律情報~ 創刊のご案内
長島・大野・常松法律事務所は、今般「Middle East Legal Update ~中東最新法律情報~」を創刊いたしました。中東地域は、地政学的緊張と経済的成長機会が交差する、世界でも最も変化の激しい地域です。エネルギー安全保障、経済制裁、紛争リスクといった不確実性に加え、脱石油の潮流のもとで進むデジタル分野を含む新たな市場の拡大が複雑に重なり合い、その重要性は一段と高まっています。日本企業にとっても、この地域はリスクと機会が表裏一体となる戦略的な要衝といえるでしょう。こうした環境を踏まえ、「Middle East Legal Update ~中東最新法律情報~」では、現地の規制動向や政策の変化を的確に捉えつつ、中東の法制度および法律実務の現在地を多角的に分析し、読者の皆様に有益な情報をお届けしていきます。
はじめに
2026年2月末より続く米国・イスラエルによるイランへの攻撃、およびその後のイランによる湾岸諸国等への報復攻撃を受け、中東地域の緊張は急速に高まっています。中東地域の混乱前は、一日あたり約2000万バレルの原油や石油製品がホルムズ海峡を通過していたものの、現在は、同海峡の航行が大幅に制限されており、多くの商業船舶が同海峡付近で足止めされています。紅海情勢の沈静化を受けて紅海航路を再開する動きを見せていた主要な海運会社も、スエズ運河を通過する航路の再開を停止するなど、グローバルなサプライチェーンへの影響が拡大しています。
このような状況下においては、原材料や部品の納期遅延、現地プロジェクトの中断など、契約上の債務不履行のリスクが高まります。本ニュースレターでは、COVID-19のパンデミックの際に議論になった不可抗力条項をはじめ、速やかに確認・検討すべき主要な実務上のポイントについて解説します。また、従業員の退避など、従業員に対する安全配慮義務の観点から検討すべき事項についても解説します。
不可抗力条項・MAC条項
一般に、武力衝突等の予期できなかった事情が発生した場合に検討される条項の代表例としては、不可抗力条項やMAC条項が挙げられます。
1. 不可抗力条項
不可抗力条項(force majeure clause)とは、当事者の支配を超える予見不可能な事象が発生し、契約上の義務の履行ができない場合に、当事者を当該義務から免責する条項です。不可抗力となる事象の例示、免責の要件やその具体的な効果に関する事項について定めを置くことが通常です。
不可抗力の概念は、フランス民法典(ナポレオン法典)に起源を持ち、「force majeure」というフランス語がそのまま法律用語として世界的に使用されています。大陸法系の法体系では、不可抗力は法律上の原則として確立されており、契約に明示的な規定がなくても適用される場合があります。これに対し、コモンロー(英米法)では、不可抗力という固有の法理はなく、不可抗力は契約上の概念とされているため、その適用範囲は、契約の文言に依存します。不可抗力条項がない場合、コモンロー法域では、契約目的の達成不能(frustration)の法理の適用を検討すべきことについては、後述のとおりです。
2. MAC条項
MAC条項(Material Adverse Change/Effect 条項)とは、企業買収(M&A)や投資契約などで、対象会社や取引全体に「重大な悪影響(重大な不利な変化)」が生じた場合に、買主・投資家などに契約の解除、履行拒絶、条件変更等の権利を与えるための条項です。実務上は、契約において、MACの定義(どのような事実・変化が重大な悪影響といえるか)に加え、例外(例えば、一般的な景気後退、業界全体の変化、法改正、パンデミック、戦争等はMACから除外されることがあります)を規定することもあります。
中東情勢との関係で確認すべきポイント
今回発生したような武力衝突に伴い、契約相手方が債務を履行しない場合、かかる不履行について、契約相手方に責任を問えるかどうかが問題となります。また、自社による債務の履行が不可能または困難になった場合、契約相手方から責任追及を受ける可能性があるか否かを検討する必要があります。これらの検討を行うにあたり、一般的に留意すべき点は、以下のとおりです。
1. 契約の準拠法の確認
(1) 英米法
前述のとおり、英国法や米国法が準拠法になっている場合には、「不可抗力条項(force majeure clause)」は、契約に明示された内容に沿ってその効力が認められます。MAC条項についても、基本的に同様と考えられます。これらの条項が契約に規定されていない場合でも、例えば、英国法が準拠法となっている場合、契約目的の達成不能(frustration)の法理が適用され、義務の履行を免れることができる可能性もありますが、この法理が認められるためのハードルは非常に高く、単なるコスト増加や履行の困難化では足りず、契約の履行が物理的、法律的、または商業的に不可能となった場合、または履行義務を契約締結時に引き受けた義務とは根本的に異なる義務へと変えてしまうような場合に限られます。例えば、スーダン産の落花生をCIFハンブルク条件で販売する契約に基づくスーダンからハンブルクへの輸送経路は、通常、スエズ運河経由でしたが、1956年11月のスエズ運河の閉鎖に伴い、喜望峰経由で輸送した場合には、運賃が100%増になってしまうため、売主が落花生の出荷を拒否したという事案において、英国貴族院は、契約目的の達成不能(frustration)を認めませんでした※1。こうした事例を踏まえると、今般の中東情勢により運送費用が高騰したとしても、それだけでは履行が不可能であると認められる可能性は低いと考えられます。
(2) UAE(フリーゾーンおよびメインランド)
UAEのメインランドおよびフリーゾーンに適用される法の下でも、不可抗力条項やMAC条項は商業契約に組み込まれることが少なくありません。もっとも、契約に不可抗力条項やMAC条項が規定されていない場合の処理については、メインランドに適用される法とフリーゾーンに適用される法とに分けて考える必要があります。まず、Abu Dhabi Global Market(「ADGM」)やDubai International Financial Centre (「DIFC」)という金融フリーゾーンにおいては、コモンローを基礎とする法体系が取り入れられています。ADGM法が準拠法として指定された場合、2015年英国法適用規則※2(Application of English Law Regulations 2015)に基づき、基本的にはその時点で有効な英国のコモンローが直接適用されるため、英国法について述べたところと同じ結論になると考えられます。他方、DIFCは、英国のコモンローを直接適用するアプローチを取らず、DIFCが英国法をモデルとして制定した法体系を適用する形を取っています。すなわち、DIFC契約法によれば、債務の不履行が当該当事者の支配を超える障害によって生じたものであり、かつ、その当事者が契約締結時に当該障害を予見すること、またはその障害もしくはその結果を回避し、もしくは克服することを合理的に期待することができなかった場合には、当該不履行は免責されます※3。なお、この規定は、金銭の支払義務については適用されません※4。
以上に対し、UAEのメインランドに適用される法令が準拠法として指定された場合、双務契約において不可抗力が発生し、その結果、債務の履行が「不可能」となったときは、これに対応する反対給付の義務も消滅し、契約は当然に解除されます※5。明示的には規定されていないものの、UAEの裁判所は、不可抗力事由が契約締結時に予見不可能であったことを要求すると理解されています。また、契約の履行が「不可能」とまではいえないとしても、いわゆるハードシップに当たる場合として、公的性質の予見不可能な例外的事情により契約上の債務の履行が債務者にとって負担の重いものとなり、債務者が重大な損失を被るおそれがあるときは、裁判所は、両当事者の利益を比較衡量した上で、その過度に負担となった債務を合理的な範囲まで減縮することができるとしています※6。留意すべきは、これに反する合意は無効とされることです。債務の履行のための費用が高騰したという場合、不可抗力ではなく、ハードシップに依拠することになります。さらに、建設契約を含む請負契約(muqāwala)に適用される規律として、契約当事者は、契約の履行またはその履行の完了を妨げる原因が生じた場合、契約の解除または終了を要求することができるものとされ※7、加えて、請負人は、履行開始後、その支配の及ばない原因により履行を完了できなくなった場合、発注者が得た利益の額を限度として、完了した作業の価値および履行において生じた費用の支払いを受ける権利を有するものとされています※8。
(3) サウジアラビア
サウジアラビア民法においても、UAE民法と似た規律がされています。すなわち、双務契約において債務者の支配の及ばない事由により債務の履行が不可能となった場合、当該債務およびそれに対応する債務は消滅し、契約は自動的に終了するものとされています※9。履行が不可能になったとまではいえない場合でも、契約締結時に予見することができなかった異例の事象が発生し、その結果、契約上の義務の履行が債務者にとって過度に負担の大きいものとなり、債務者に重大な損失を生じさせるおそれがあるときは、債務者は、まずは、遅滞なく、相手方に対して再交渉を求めることができます。この再交渉が相当期間内に奏功しない場合、裁判所は、関連する事情や当事者の利益を考慮し、過度な義務を合理的な程度まで減縮できるものとされています。そして、この定めに反する合意は無効とされています※10。UAE民法と比べると、ハードシップの場合に、裁判所が過度な義務の調整に踏み込む前に再交渉の段階が介在する点に特徴があります。加えて、建設契約を含む請負契約に関して、請負代金の支払いがランプサムである請負契約については、工事に使用する材料の価格、労働者の賃金およびその他の費用が増加したとしても、請負人は報酬の増額を請求することができないのが原則ですが、契約締結時に予見することができなかった一般的かつ例外的な事態により、発注者と請負人の双方の契約上の義務の均衡が崩れ、見積りの基礎がもはや有効でなくなった場合には、裁判所は、関連する事情や当事者の利益を考慮し、履行期間の延長、報酬の増減その他の方法により契約上の均衡の回復を命ずることができ、または契約の終了を命ずることができるものとされています※11。
2. 契約条項のワーディングの確認
契約相手方との間で訴訟、仲裁等の紛争になった場合、不可抗力条項もMAC条項も、基本的には、合意されたワーディングのとおりに解釈・適用されることが多いです。そのため、これらの条項によって、どのような事象がカバーされているのかという点について、契約のワーディングを確認する必要があります。不可抗力条項の典型的な事由としては、自然災害、戦争、武力紛争、テロ行為、反乱、革命、政府の行為(港湾閉鎖や航路規制を含む)等が挙げられます。MAC条項は、対象会社や取引全体に重大な悪影響が発生することが要件になっている場合が多いですが、戦争や武力紛争が明示的に除外されている例も少なくありません。
今般の中東情勢に関しては、「武力紛争」「戦争」「政府の行為」といった文言が不可抗力に当たる事象として契約に明記されているかを確認することが重要です。また、各国政府が緊急輸出規制や制裁措置を発動した場合には、そのような措置も、不可抗力条項やMAC条項の対象となる可能性があります。
また、不可抗力条項の適用にあたっては、当該不可抗力事象と履行不能との因果関係が重要となります。通常は、債務の免除を主張する当事者の側で、「武力紛争」「戦争」「政府の行為」といった事象が、債務の履行不能と直接の因果関係があることを立証する必要があります。
さらに、不可抗力条項の効果についても、契約の定めを確認する必要があります。履行義務の免除や解除が定められているもののほか、建設契約では工期延長や一定の場合の追加費用の請求などが定められているものもあります。
3. 通知義務と損害軽減義務の遵守
不可抗力条項の多くは、影響を受けた当事者に対し、速やかに相手方に通知する義務、および不可抗力事由の影響を軽減するための合理的な損害軽減措置を講じる義務を課しています。これらの義務を怠った場合、不可抗力を理由とする免責が否定されるリスクがあるため、まず、通知義務については、通知期限や要求される通知の様式を確認し、速やかにそれらに従った通知を行う必要があります。また、損害軽減義務についても、代替供給元の確保、在庫の活用、代替材料の使用検討、他拠点への生産移管など、経済合理性や実行可能性を考慮し、速やかに損害軽減措置を講じることが重要です。契約履行が阻害された経緯とともに、契約を履行するために講じた代替措置やその他の損害軽減措置について記録することが望ましいと考えられます。
なお、損害軽減措置との関係で、既存の契約条件(原材料の供給条件、納期の変更等)を変更しなければならない場合は、既存契約に定める契約変更に関する条項を確認し、変更は書面による場合のみ有効とされているのであれば、相手方と口頭でのやりとりや非公式なメールでのやりとりで済ませるのではなく、変更契約を書面で締結する必要があります。
4. 予見可能性
不可抗力条項の多くは、事象が契約締結時に「予見不可能」であったことを要件としています。中東情勢の緊迫化が始まるより前に締結された契約については、予見可能性が問題となることは考えにくいでしょうが、中東情勢の緊迫化がすでに進行していた段階で締結された契約については、紛争やその結果生じる物流の混乱などは予見可能であったと判断される可能性は否定できないと思われます。新規契約の不可抗力条項についての交渉では、中東情勢の緊張状態が予想外に悪化した場合に対処するため、既知の事象であってもその事象の「エスカレーション」については、特別の定めを置くことが考えられますし、また、そもそも一定の既知の事象について、予見可能性を問題とすべきか否かも検討すべき場合があるかもしれません。
従業員に対する安全配慮義務
今般の中東情勢においては、ミサイルやドローン攻撃が現実に生じていることに加えて、湾岸地域では空域の閉鎖により、現地にいる従業員が出国できない事態も発生しました。一般に使用者としては従業員の安全確保を検討する必要があるところ、現地に駐在員や出張者がいる場合には、どの国の労働法が適用されるかについて、個別の雇用形態や雇用契約の内容等を踏まえて確認する必要があります。例えば、UAE連邦労働法が適用される場合には、同法において使用者の義務の一つとして定められている安全な労働環境の提供の観点なども踏まえた検討を要します。
実際には、対象となる従業員との雇用関係には日本の労働法が適用される場面も少なくないと考えられるところ、その場合には、従業員に対する安全配慮義務を遵守する必要があります。日本の労働契約法第5条は、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と規定しています。この安全配慮義務は、心理的負荷の高い業務への従事を理由とした精神障害の発症という観点からも問題になります。安全配慮義務に違反した場合には、使用者は損害賠償責任を負う可能性があります。
安全配慮義務の観点からは、従業員の所在確認と安否確認を行ったうえで、地域情勢に関する最新の情報に基づいて、従業員に対する退避指示の要否や適切な支援の内容を速やかに検討する必要があります。さらに、紛争リスクが生じている現地から出国できない場合や、日本に帰国した場合のいずれにおいても、生命・身体への危険に加えて、これらの危険が生じている、または生じたことにより心理的負荷が過大になっている状況も想定されるため、産業医との面談やストレスチェック、カウンセリング等の措置についても平時より手厚い対応を要する場面も想定されます。
おわりに
中東情勢の混乱が継続する中、サプライチェーンへの影響や現地プロジェクトの中断・停止は、今後長期化する可能性があります。不可抗力条項をはじめとする契約上のリスクに対する手当てが、想定される様々なリスクシナリオに対処できているかという観点から、既存契約を精査するとともに、新規契約の交渉においては想定されるリスクに対する具体的な手当てを検討する必要があります。
脚注一覧
※1
Tsakiroglou v Noblee Thorl [1962] AC 93
※3
UAE民法の場合、不可抗力の効果として契約が当然に解除されるのに対し、DIFC契約法では、債務の不履行が免責されると定められているにすぎない点も注意が必要です。
※5
UAE民法273条1項。なお、契約上の債務の一部のみの履行が不可能になった場合や継続的契約について一時的に債務の履行が不可能になった場合には、その部分の債務のみ消滅し、債務者も当該状況を認識している場合に限り債権者は契約を解除することができるとされています(UAE民法273条2項)。
※9
サウジアラビア民法110条1項。なお、契約上の債務の一部のみの履行が不可能になった場合や継続的契約について一時的に債務の履行が不可能になった場合には、その部分の債務のみ消滅し、債権者は契約の終了を要求することができる(但し、債務に対して履行が不可能になった部分が軽微である場合には、裁判所は契約終了の申立てを却下することができる)とされています(サウジアラビア民法110条2項)。