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ニュースレター

シンガポール汚職防止法(PCA)のポイントと最近の動向

著者等
井上孝之
出版社
長島・大野・常松法律事務所
書籍名・掲載誌
NO&T Asia Legal Update ~アジア最新法律情報~ No.279(2026年5月)
業務分野
キーワード

※本ニュースレターは情報提供目的で作成されており、法的助言ではありませんのでご留意ください。また、本ニュースレターは発行日(作成日)時点の情報に基づいており、その時点後の情報は反映されておりません。特に、速報の場合には、その性格上、現状の解釈・慣行と異なる場合がありますので、ご留意ください。

はじめに

 シンガポールは、世界で最も汚職の少ない国の一つと評価されている※1。しかし、これは必ずしも汚職リスクがないことを意味するものではなく、汚職に対する法執行が厳格であることの裏返しともいえる。

 シンガポールでは、民間人同士の贈答品の授受であっても贈収賄罪として処罰の対象となり得ることや、少額・慣行的な支払いであっても、直ちに処罰対象の例外とは扱われないことに照らすと、日常業務に潜むリスクには注意が必要である。

 さらに、2025年7月には、贈収賄案件について、シンガポールにおける起訴猶予合意制度(検察官が訴追対象企業との間で一定の条件で合意し、その条件が遵守されている限り訴追を猶予する制度)の第1号事件が発表された(この起訴猶予合意は2026年4月24日に裁判所により承認された。)。

 こうした新しい動きも踏まえ、本稿ではシンガポールにおける汚職防止の主たる法令である汚職防止法のポイントを概説する。

汚職防止法(Prevention of Corruption Act 1960)の概要

 シンガポールにおける汚職防止の主要な法令は汚職防止法(PCA)である※2。PCAは、贈収賄罪等の処罰規定のほか、シンガポールにおける汚職事案の捜査機関である汚職調査局(CPIB)の権限等(逮捕、無令状捜索差押え権限等)を規定している。

 この点、PCAは、公務員に対する贈賄行為のほか、民間人同士の贈収賄行為も処罰対象としており、これがシンガポールの汚職防止法制度の特色の一つといえる。

 すなわち、入札、発注、業者選定、コンサルタント起用等、民間企業間の取引であっても贈収賄罪に該当する謝礼の授受等が行われる可能性があるため、こうした通常業務上に潜む汚職リスクも意識する必要がある。

 贈収賄罪の罰則としては、10万シンガポールドル以下の罰金または5年以下の拘禁刑(公共部門の場合は7年以下の拘禁刑)が科される。

贈収賄罪の成立要件とポイント

 贈収賄罪の主な成立要件は、不正に、一定の行為を行うこと、あるいはその行為を控えることを誘引しまたはその見返りとして、謝礼を要求、収受、約束、交付等したことである。

 この点、法令上、謝礼の金額に下限は設けられておらず、その形式(現金、物品の贈与、役務、便宜等)も広く規定されている。また、いわゆるファシリテーション・ペイメント(行政手続きを円滑化するための少額支払い)についても、免除や抗弁として例外規定は設けられていない。

 贈収賄罪が成立有無を分ける分水嶺としてポイントとなるのが、「不正に(corruptly)」という要件である。

 PCAにおいて「不正に(corruptly)」の定義は規定されていないものの、先例に照らし、不正または不誠実な行為を促す、あるいは、職務や業務の遂行におけるインテグリティを歪めるものと解釈されているようである※3。そして、その判断においては、①不正の要素(corrupt element)、②不正の意図(corrupt intent)が考慮されている。

 第1の「不正の要素」とは、取引を行った際の行為者の意図が当該取引に客観的に不正な要素をもたらしたかどうかをみるものである。例えば、ある請負業者が、その発注先企業の従業員に対し、同企業の経営陣を説得して当該請負業者に発注するよう協力してもらう見返りとして金銭を支払ったとする。この金銭は、当該従業員に対し、本来行うべきではない行動(雇用主に対して忠実な行動ではなく、謝礼を受領したことを動機とする行動)を促すために交付されたものといえるため、職務の遂行におけるインテグリティを歪めるものとして、「不正の要素」を構成するといえる。

 第2の「不正な意図」とは、行為者が自身の行為が不正であることを認識していたかどうかをみるものであり、例えば、相手方に謝礼を受領させるために、他人名義で銀行口座を開設するよう促し、その存在を隠蔽しようとしたような場合には、自身の行為の不正さを認識していたといえるため、不正の意図があったと考えられる。

 こうした判断要素を手がかりとして贈収賄罪該当性リスクを慎重に検討する必要がある。

起訴猶予合意制度(DPA)の第1号事例の公表(2025年7月)

 起訴猶予合意(Deferred Prosecution Agreement)とは、検察官と訴追対象企業との間で結ばれる合意であり、当該対象企業が一定の項目(再発防止策等)を遵守することを条件に、検察官が刑事訴追を猶予するものである※4。

 シンガポールにおいては2018年に導入されて以降、長らく適用例は発表されていなかったが、2025年7月に第1号となる適用事例が公表された※5。

 この案件は、シンガポール企業による国外での汚職犯罪に関して、シンガポールの検察官と当該企業間で締結されたものであり、その合意に基づき、当該企業は1億1000万米ドルの罰金を支払う※6とともに、再発防止のため、倫理・コンプライアンスプログラムを見直すことなどが求められた。仮に当該企業がその条件を遵守しなかった場合には、検察官は裁判所に対して当該合意の解除を申し立てた上で、当該企業を刑事訴追することができる。

 なお、起訴猶予合意は裁判所による承認が必要とされているところ、2026年4月24日にシンガポール高等法院が上記合意を承認した。

 今後、シンガポールにおいてDPAがどこまで活発に適用されるかは不透明であるが、汚職対策の一つとしても、新たな動きとして注目される。

さいごに

 シンガポールにおける汚職リスクは、民間企業間の取引にも潜んでいる。シンガポールの汚職防止法の正しい理解をもとに、日常業務の贈収賄リスクを継続的かつ慎重に検証すべきである。

脚注一覧

※1
トランスペアレンシー・インターナショナル(Transparency International)の腐敗認識指数(Corruption Perceptions Index)2025年版では、182の国・地域のうち、シンガポールは第3位にランクインしている。なお、日本は第18位である。

※2
公務員に対する贈収賄の処罰規定は1871年刑法にもあるが、実務上はPCAに依拠することが多い。

※3
Chan Wing Seng v Public Prosecutor [1997] 1 SLR(R) 721等参照

※4
2018年刑事手続改革法(Criminal Justice Reform Act 2018)Part VIIA

※6
ただし、1億1000万米ドルのうち、5300万米ドルを上限として当該企業が既に国外当局に対して支払った制裁金に充当され得るため、実質的には残りの5700万米ドルの支払義務をシンガポール当局に対して負うことになる。

本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。


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