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【From Singapore Office】労働法:黙示の義務と解雇 ―最新の裁判例における重要ポイント

著者等
ジャスティン・イー加藤希実(共著)
出版社
長島・大野・常松法律事務所
書籍名・掲載誌
NO&T Dispute Resolution Update ~紛争解決ニュースレター~ No.42(2026年7月)
関連情報

本ニュースレターは、「全文ダウンロード(PDF)」より日英併記にてご覧いただけます。シンガポール・オフィスの紛争解決チームについてPDF内にてご紹介しております。

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※本ニュースレターは情報提供目的で作成されており、法的助言ではありませんのでご留意ください。また、本ニュースレターは発行日(作成日)時点の情報に基づいており、その時点後の情報は反映されておりません。特に、速報の場合には、その性格上、現状の解釈・慣行と異なる場合がありますので、ご留意ください。

はじめに

 シンガポールをはじめとするコモン・ロー諸国において、雇用契約は単なる商業契約ではなく、当事者間の継続的な関係を含む「関係的契約(relational contract)」と考えられており、当事者は互いに相当な義務を負うものとされる。この関係の特殊性を根拠に、関係が悪化した当事者間で、雇用契約に明文化されていない条項を黙示的に読み込んで、それらの黙示条項の違反を理由に損害賠償を請求することがある。

 雇用主は通常、従業員が営業秘密の漏洩や競業他社へのビジネスの転用など、雇用主の利益に反する行為を行った場合、「信義誠実(good faith)」義務や「忠実(fidelity)」義務といった黙示の義務違反を主張する。一方、従業員は、詐欺や不当解雇といった雇用主の不正行為により損害を被った場合、「相互信頼・信用(mutual trust and confidence)」という黙示条項の違反を主張することがある。

 シンガポールでは最近まで、これらの条項の黙示の合意に関する法解釈は揺れ動き、不安定だった。「忠実」義務(誠実かつ忠実に振る舞う義務)は確固として認められてきたものの、「相互信頼・信用」及び「信義誠実」の義務の存在については、相反する裁判例が存在していた。

解雇場面における相互信頼・信用

 シンガポール高等裁判所による最近の判決 Prashant Mudgal v SAP Asia Pte Ltd [2026] SGHC 15 により、少なくとも「相互信頼・信用(mutual trust and confidence)」という黙示条項の存在に関しては、より明確な指針が示された。当該事件において、原告である従業員は、被告である雇用主に対して、複数の請求を行ったが、その一つは、被告が、解雇に至るまでの過程で、敵対的かつ不公正な行為を繰り返したことにより、相互信頼・信用の黙示条項に違反したというものであった。従業員の主要な主張の一つは、雇用主が彼に対して適用した業績改善計画は、その時点で解雇がすでに決定されていたため、単なる見せかけに過ぎなかったというものであった。

 まず前提として、(特に、大陸法系の国々の人々にとって)興味深い点として、高等裁判所は、解雇が契約に準拠している限り、雇用主はいつでも、いかなる理由の有無にかかわらず、雇用契約を解除できるというコモン・ローの原則を改めて確認した。例えば、シンガポールの法律では、雇用契約に「いずれの当事者も2ヶ月前の通知をもって契約を解除できる」と規定されている場合、雇用主は理由を明示することなく、いつでも単に2ヶ月前の通知(あるいは通知に代わる2ヶ月分の給与の支払)を行うだけで契約を解除することができる。その根底にあるのは、当事者が契約を締結し、また契約から離脱する自由を有するというコモン・ローの概念である。この概念を基礎として、裁判所は、当事者間の「恣意的、気まぐれ、不合理、非論理的及び/又は不誠実な解雇手続を行ってはならない」という黙示条項が存在するという従業員による主張を退けた。

 重要なのは、相反する裁判例を背景に、高等裁判所が、雇用契約における相互信頼・信用(mutual trust and confidence)に関する黙示条項の存在を認めたことである。これは、当事者が正当な理由なく、当事者間の信頼関係を著しく損なうことを意図し、かつその可能性の高い行為を行ってはならないことを意味する。

 より具体的には、裁判所は、「耐え難い又は全く容認できないような振る舞いをしてはならない義務(“duty not to behave in an intolerable or wholly unacceptable way”)は、相互信頼・信用に関する黙示条項の従属的義務の一つである」という従業員の主張に同意した。裁判所は、「原告は、解雇が既に決定されていたにもかかわらず、先入観に基づいて判断され、[業績改善計画]の対象とされた上、[業績改善計画]の取扱いも極めてずさんであったこと」を理由に、雇用主が黙示の相互信頼・信用条項に違反したと認定した。裁判所が注目したのは、解雇という決定そのものではなく、解雇に先立つ雇用主の行為であり、裁判所はこれを「不誠実(“dishonest ”)」であると指摘し、「いかなる従業員も、そのような方法で誤解させられたり欺かれたりすることを当然に容認すべきということにはならない(“[n]o employee should be expected to put up with being misled and deceived in such a manner”)」と述べた。

信義誠実(Good faith)

 相互信頼・信用という黙示条項は、シンガポール法の下では(少なくとも現時点では、上級裁判所によって覆されない限り)定着したように見えるが、信義誠実(good faith)の義務についても同様と言うことはできないかもしれない。裁判所は、信義誠実の義務は契約の自由と抵触するとして、黙示的に契約に読み込むことには消極的な姿勢を示している。雇用契約の文脈において、このような(相互信頼・信用よりも範囲が広く、曖昧であるとみなされる)条項を黙示的に適用することは、雇用主の解雇権を制約するおそれがある。

 しかし一方で、高等裁判所控訴部による最近の判決である GTL Agencies (S) Pte Ltd v Neo Boon Huat and others [2026] SGHC(A) 6 を含むいくつかの裁判例においては、雇用契約における「信義誠実及び忠実(“good faith and fidelity”)」という黙示の義務の存在を少なくとも暗に認めていると見受けられる。したがって、信義誠実の義務がシンガポールにおいて確立されるかどうかについては、今後の動向を見守る必要がある。

まとめ

 結局のところ、「信義誠実(good faith)」と「忠実(fidelity)」には大きな重複がある。後者はすでに確立された黙示条項であるから、雇用契約に前者の信義誠実の義務を黙示的に認めることの実質的な効果は限定的であると考えられる。(誠実かつ忠実に振る舞う)忠実義務は、ほとんどの状況において、無過失の当事者が過失のある当事者に対して請求を行うための根拠としては十分であるはずである。

 また、雇用契約に義務を黙示的に読み込むことに成功したとしても、それだけでは不十分である。原告はさらに、当該義務の違反及びその結果生じた損害を立証しなければならず、これは通常、事実関係に左右される。前掲Prashant Mudgal事件について言えば、相互信頼・信用義務の違反に関する主張は認められたものの、原告従業員は、主張した約500万シンガポールドル(約6億円〔1SGD=120円換算、以下同様。〕)の損害を立証できなかった。結局、1,000シンガポールドル(12万円)という名目上の損害賠償しか認められなかったため、原告従業員にとっては全体として割に合わない敗訴の結果に終わった。

本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。


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