論文/記事
Lexology Panoramic – Mediation 2026 Japan
(2026年8月)
池田順一、鍋島智彦、井上皓子(共著)
- 紛争解決
- 国際仲裁
- 国際調停
- 民事・商事争訟
Publication
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※本ニュースレターは情報提供目的で作成されており、法的助言ではありませんのでご留意ください。また、本ニュースレターは発行日(作成日)時点の情報に基づいており、その時点後の情報は反映されておりません。特に、速報の場合には、その性格上、現状の解釈・慣行と異なる場合がありますので、ご留意ください。
国際商事仲裁において敗訴した当事者が仲裁地の裁判所に対して仲裁判断の取消しを求める裁判を提起する。仲裁地の裁判所が仲裁判断の取消しを認めない判断を出した場合に、当該判断の理由中の特定の争点に関する結論は他の法域、とりわけ仲裁判断が執行される場所の国(典型的には敗訴当事者の財産の所在国)の裁判所の判断を拘束するだろうか。これは国境を越える争点効(transnational issue estoppel)の問題である。2026年3月25日の判決※1によって、インド最高裁判所が国境を越える争点効を初めて適用した(以下「本判決」という。)。本判決は、仲裁判断の速やかな執行を促すアジアの法域の動向に関する最近の重要判例である。
インド籍及びモーリシャス籍の複数のプライベートエクイティファンド投資家がインドのデジタル決済サービス会社のFinancial Software and Systems Private Limited(以下「FSSPL社」という。)の株式を購入した。購入にあたり、投資家はFSSPL社と同社のプロモーターとShare Acquisition and Share Holders’ Agreement(以下「本株主間契約」という。)を締結した。本株主間契約によれば、指定の期日までにプロモーターがFSSPL社の適格新規株式公開を行わない場合に、投資家が投資資金を回収するためのエグジットの権利が設けられていた。すなわち、そのような場合に投資家は、(i)(本株主間契約において「Exit Price」と定義される)一定の価格での第三者への株式の売却、(ii)FSSPL社による株式の買戻し(buy back)、又は(iii)投資家がエグジットできなかった場合、FSSPL社株式100%(プロモーター保有分も含む)の第三者への売却を求めることができるとされていた。
指定の期日までに適格新規株式公開は実施されなかった。投資家は本株主間契約に基づきエグジットの権利を行使しようとしたものの、Exit Priceでの株式売却やFSSPL社による株式の買戻しは実現しなかった。そのため、投資家はFSSPL社とそのプロモーターに対して、本株主間契約違反に基づくExit Price相当の損害賠償やFSSPL社株式100%の第三者への売却を求めて仲裁を提起した。本株主間契約の仲裁条項に基づき、当該仲裁は仲裁地をシンガポールとし、シンガポール国際仲裁センター(SIAC)の仲裁規則に基づきSIACの管理のもと実施された。
仲裁廷は投資家の主張を認め、2024年7月に投資家勝訴の仲裁判断を出し、FSSPL社とそのプロモーターに対してExit Price相当の損害賠償の支払を命じた。プロモーターは当該仲裁判断の取消しを求めて、仲裁地のシンガポール高等裁判所に裁判を提起した。シンガポール高等裁判所はプロモーターの主張を斥けて仲裁判断を有効とする判決を2025年2月に出した。プロモーターはシンガポールの最上級審への上訴を行わなかった。
投資家がインドのマドラス高等裁判所において仲裁判断の執行を求めたところ、プロモーターはこれに異議を申し立てた。マドラス高等裁判所はプロモーターの異議を認めず、2025年9月に仲裁判断の有効性と執行可能性をいずれも認めた。プロモーターがマドラス高等裁判所の判断について、インド最高裁判所に上訴したのが本判決の裁判手続である。
シンガポール高等裁判所に係属した裁判において主要な論点の一つになったのは株式の買戻し(buy back)に関する争点である。当該争点についてのプロモーターの主張は、仲裁判断がExit Price相当の損害賠償の支払をプロモーターに命じたこと(とその支払の履行に伴い投資家が自身の保有するFSSPL社株式をプロモーターに返還すること※2)によって、FSSPL社としては実質的に買戻しを行ったことと等しい状態になったというものであった。プロモーターによれば、これはインド会社法によって禁止される自社株の買戻し行為になり、仲裁判断は執行不可能になる。
プロモーターは、この買戻しに関する争点について仲裁廷が十分にプロモーターの主張を審理しなかったから仲裁判断は取り消されるべきとシンガポール高等裁判所に対して主張した。しかし、シンガポール高等裁判所は、仲裁廷は買戻しに関する争点を十分に審理したと判断して、プロモーターの主張を斥けた。また、同裁判所は、FSSPL社とプロモーターに対してExit Price相当の損害賠償の支払を命じることによってFSSPL社が実質的に買戻しを行ったことにはならないと仲裁廷が判断したことに言及しつつ、この仲裁廷の判断をプロモーターがインド会社法を絡めた法律構成によって覆そうとすることを認めなかった。
マドラス高等裁判所は、買戻しに関する争点について既にシンガポール高等裁判所がプロモーターの主張を斥けていたので、国境を越える争点効の法理によってプロモーターは同じ争点について改めて主張することはできないと判断した。本判決はマドラス高等裁判所の判断を支持し、インド最高裁判所として初めて国境を越える争点効の適用を認めた。
本判決は、国境を越える争点効の法理に関する近時のシンガポール最上級審判決※3に賛同してこれを引用しつつ、次の3点を確認した。
そして、本判決は、仲裁地裁判所のシンガポール高等裁判所が、FSSPL社株式の買戻しは存在せず同株式は投資家によって自主的に返還されるものと判断したのであるから、国境を越える争点効の適用によって、プロモーターは仲裁判断がインドの公序に反するとインド仲裁調停法第48条(2)(b)に基づいて主張をすることはできないと判示した。本判決によれば、プロモーターとして仲裁判断はインドの公序に反すると主張できる可能性があるのは、実質的にFSSPL社による同社株式の買戻しがなされたとシンガポール高等裁判所が判断したものの、同裁判所がその判断と一貫する形で仲裁判断を取り消さなかった等の場合に限られる。
インド企業を相手方とする投資プロジェクトや商取引においては、インドの裁判手続に時間がかかる遅延のリスクを回避するために、中立的な第三国のシンガポールを仲裁地とする仲裁を紛争解決手続として指定する例が多く見られる。インド企業同士の取引であっても、頻繁にシンガポールにおける仲裁が指定されるほどである。このように、紛争解決手段としてのシンガポール仲裁にはインド関連の商取引において重要性が認められる。関連して、シンガポールの仲裁判断の執行可能性を左右するシンガポールにおける仲裁判断取消しの裁判とインドにおける執行の関係性にも絶えず注目が集まる。
そうした背景も併せて考慮すると、本判決は、近年益々活発になってきている日本を含む外国企業によるインド企業やインドプロジェクトへの投資の判断にも関わるものといえる。インド関連投資の大きなリスクは投資家として権利を十分に執行できないリスクであった。しかし、本判決によって、明確なエグジットの枠組みと適切な紛争解決手続を契約に落とし込んでおくといったリスク対応策は、国境を越えてサポートを得られる可能性があることが明らかになった。これはインドへの外国投資及びインド企業との協力や提携を後押しする一要素となり得る。インド関連投資の文脈において、上記のリスク対応策を講じることや、紛争のフェーズに入ってからもそれぞれの仲裁・裁判手続において一貫した戦略を策定し十分な主張立証活動を行うことは、今後益々重要な意味を持つ。
※1
Nagaraj V Mylandla v PI Opportunities Fund-I and others, Special Leave Petition (Civil) Nos 31866-68 of 2025 and 31945-31947 of 2025.
※2
投資家は、損害賠償の支払を受けながらFSSPL株式を保有し続けることによって二重に利益を得ているとの指摘を避けるために、仲裁手続において、損害賠償の支払を受けた場合に自身が保有するFSSPL株式を自主的に返還することを申し出た。
※3
The Republic of India v Deutsche Telekom AG [2024] 1 SLR 56.
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